お知らせ

2019.6.10 ホームページを開設しました。

縁起

寿昌院

寛文年間(1661〜1672)、池田玄瑞の家室である池田きよが病気克服のため、この地にあった弁才天に祈願したところ快癒。 のちに潮音禅師に参禅して仏門に入り、「寿昌院桂月元皎禅尼」となったことがはじまりです。 貞享元年(1684)には、禅尼と息子の池田長強が寺地と田畑一町六反余を寄付し、弁才天を安置する宮と庵室を建立。 黄檗四代独湛禅師の嗣法天海道竜和尚が開山となり、江島山寿昌院と称しました。 宝暦十二年(1762)には当山七代呉山和尚が田畑三町六反を買い添え、明治三十九年(1906)には本所小梅の梅林庵を合併。 その後は農地改革などで寺領の多くを失いましたが、檀信徒ならびに地域の皆様に支えられ、現在まで法燈を守っています。

「辨天社地図」
国立公文書館蔵『新編武蔵風土記稿』より
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松本弁天

弁才天がいつ頃からあったのかは定かではありません。 戦国時代、この地は小田原北条氏の支配下にあり、慶安元年(1648)の検地帳に「江ノ嶋耕地」と記されていることから、 北条政子が開いたとされる神奈川県の江ノ島弁才天と関係があるものと考えられています。 寿昌院の山号は「江ノ嶋」の地名に由来します。 『葛西志』や『新編武蔵風土記稿』には「辨天社」として境内の松とともに絵入りで紹介されています。 地元では「松本弁天」として親しまれ、かつては弁天講もあって賑わったそうです。

臥竜の松

境内中央にある見事な枝張りをみせるクロマツで、推定樹齢は500年以上と言われています。 『葛西志』や『新編武蔵風土記稿』に「奇木というべし」「いとめつらかなる木」と絵入りで紹介されています。 大正年間に大風のために幹が折れ、現在の這い松の形になり、その姿から「臥竜の松」と称されています。 江戸川区登録天然記念物、江戸川区景観重要樹木に指定され、えどがわ百景のひとつに選ばれています。
直立の老松三本あり。その中央なる松、いかなるゆえにや、土地一尺より別に枝を生じて、傘の形に藩延せること八、九間四方もあるべし。尤も奇木というべし。

『葛西志』

社に向かい左方に老松三株並び立り、共に高さ十五間許、中の松樹地上三尺許より西へ指る大枝ありて、それより左右へ広がれること凡九間余に及へり、いとめつらかなる木なれば、その図を右に出せる境内図に載たり。

『新編武蔵風土記稿』

行事・祈祷

新春弁天祭

正月三日、檀信徒の皆さまと新年の安寧を祈願し、小宴をもうけます。「弁才天像及び十六童子像」ご開帳日です。

お彼岸

お墓にお参りください。ご希望にて塔婆をお立てします。

盂蘭盆棚経

お盆の時期、ご希望者のお宅または墓前にて読経いたします。

施食会(施餓鬼)

7月下旬、檀信徒の皆さまと御先祖ならびに有縁無縁の全ての精霊を供養いたします。

大晦日〜年越し

一年の無事に感謝し、新年の安寧を願って、弁天堂にて読経いたします。

弁才天祈祷

弁天堂における各種祈祷法要を承ります。事前にご予約ください。

御札

弁才天の開運出世御守護札を授与しています。

御朱印

随時承ります。応対できない場合もございますので、遠方よりお越しの方は事前にご連絡ください。

墓地

境内墓地

門から入って左手にございます。1平米より、区画により使用料が異なります。詳細はお問い合わせください。

納骨堂永代供養

お墓の承継者がおられない方、お墓をどうするかお悩みの方のため、骨壷を安置して永代供養いたします。詳細はお問い合わせください。

交通案内

電車・バスの場合

JR「新小岩駅」から京成バス新小71(瑞江駅行、もしくは江戸川スポーツランド行)に乗って、京成バス「松本弁天」で下車、徒歩1分。


都営新宿線「篠崎駅」から京成バス新小71(新小岩行)に乗って、京成バス「松本弁天」で下車、徒歩1分。


都営新宿線「一ノ江駅」から都営バス新小20(新小岩行またはタウンバス車庫行)に乗って、都営バス「松本弁天」で下車、徒歩2分。

お車の場合

環七通りを南進、側道に出て松本弁天前交差点で右折して最初の信号で左折。一方通行を進んですぐ右手。


環七通りを北進、側道に出て松本弁天前交差点で左折して最初の信号で左折。一方通行を進んですぐ右手。


鹿骨街道を東進、菅原橋交差点を越えて最初の信号(350m先)で右折。一方通行を進んですぐ右手。


門を入って左手に駐車スペースがあります。

お問合せ

お問合せ・ご相談ございましたら、こちらのフォーム
もしくは、お電話(03-3652-7562)にてお願いします。